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【ジョンレノンの見た夏景色。ミカドコーヒー編】40年前の記憶を夫婦で辿る。ミニモカ&コーヒーセットとモカフロートを2階席で。
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【ジョンレノンの見た夏景色。フランスベーカリー編】フランスパン,くるみパン,クイニアマン,シナモンロール,スィートポテトパイ。オリジナルショッピングバック2種。
ジョンレノン
John Winston Ono Lennonは1940年にリバプールで生まれる。当然、出生当時に“ONO”はついていない。
恵まれた生い立ち環境ではなかったが、伯母のミミおばさんは面倒を見てくれ、彼の将来を心配して「ギターでは食べていけない」と忠告してくれた。
この言葉はビートルズを1962年にオーディションで落としたデッカ・レコードのプロデューサーのマイク・スミスもしくは責任者ディック・ロウが発言したとされる「ギターグループは消えゆく運命」「ギターバンドはもう終わり」という言葉ともども、ビートルズのエピソードとして語られることが多い。
話が前後するが、ミミおばさんに買ってもらえなかったギターをジョンは自分でアルバイトして購入(諸説あり)し、学校の友人達と音楽バンド「クオリーメン」を1957年に結成する。
↓ 最初に購入した「ギャロトーン・チャンピオン」を抱えて歌うジョン(中央)

出会いと証明
ジョンの人生において最大の出会いをしたのはクオリーメンとして出演したセントピーターズ教会での1957年7月6日コンサートの後。
ジョンよりも一つ若い彼は正しいコードと歌詞でトゥエンティ・フライト・ロックをギター演奏しながら歌って見せる。
当時のジョンは実母に教わったバンジョーのコードでギターをかき鳴らし、裏覚えの歌詞を適当に作り変えながら演奏するといったスタイルだった。
ポールはその他の曲も演ったという説もあり、そしてジョンのギターを借り受け、正しい音が出せるようにチューニングまでして見せた。
何にしても当時からバツグンの歌唱力と音楽知識と演奏能力を持った彼をジョンがクオリーメンに参加させたのは3ケ月後だった。
ポール側にも事情があった。ジョンは近所では結構、知られたトラブルメーカーで彼に近づくのを良しとしなかった家族がいたという。
お山の大将的なジョンが自分よりも(当時は)はるかに能力があり、リーダーの地位を脅かしそうなポールを迎え入れることで二人の相乗効果によって、「ギターで食べていけた」し「ギターバンドは終わりじゃなかった」を証明することができたと言っても過言ではない。
二人の共通項は10代に母を亡くしたということだが、それがかえって二人の結束を強くした。
二人は度々、ポールの家で膝を突き合わせ、目と目を合わせて曲を作った。
「Lennon-McCartney」の誕生は互いの選択眼の良さを証明した。
1960年代の快進撃は語るまでも無いが、そのジョンが音楽の相棒の選択を間違えなかった眼力で、1966年に出会った小野洋子氏を人生の相棒として選択し、1698年に結婚したのは、西洋人にとってはどうか知らないが日本人にとっては幸運だった。
ジョンは“失われた週末”(1973年10月から1975年までのヨーコ氏と離れた約18ケ月間の生活)の後のヨーコ氏との復縁後に、軽井沢を毎年(4年程だが)訪れている。
万平ホテル
万平ホテルへは1976年、夫妻でアルプス館に宿泊したことをきっかけに、その後1979年まで連続して訪れる程、ジョンは気に入ったらしい。
彼のお気に入りはフロアに置かれたピアノの音と“レノン・レシピ”と言われるロイヤルミルクティー。
2023年8月に訪れた時は工事中ながら、テントを設置して売店を開設していた。
お土産品を購入し、カフェテラス横にある“二代目万平“佐藤国三郎氏の銅像を眺め、ナイショの抜け道から別荘地に向かう。







ロイヤルミルクティ“ジョン・レシピ”は異端?
↓ 購入商品(2023年8月)




紅茶の裏側にロイヤルミルクティの淹れ方が表示してあるのが嬉しい。ただし、“レノン・レシピ”ではなく、正統な淹れ方を紹介している。
ジョンのレシピは諸説あるが、「最初に牛乳に茶葉入れて約60秒、沸騰させる直前で火を止める。これを濾してカップに注ぐ」という簡単なモノだったという説の信憑性が高い(ホテル従業員からの直接の情報を紹介したNKK放送より)。
「レシピ」というほどではないが、一般的にロイヤルミルクティは最初から牛乳と茶葉を煮込むものと、最初に牛乳を煮込み、最後に茶葉を入れるという両方がある。
一緒に最初から煮込むと牛乳に含まれるガゼインが茶葉の成分の抽出を妨げてしまい、薄いロイヤルミルクティになる(らしい)。これを嫌がる紅茶専門店もある。
さすが、貿易港と労働者の街、リバプール出身でありながらも、他のメンバーと違い、中流階級だった伯母の元で育ったジョンらしく、紅茶にも彼なりのこだわりがあったのでしょうね。
もしくは茶葉とミルクを時間をかけて煮込むインド(1968年4人で滞在)の「チャイ」の影響でしょうか。
なんとなく不思議なのは“ロイヤルミルクティ”はイギリスには無く、日本発祥ということで、もしかするとジョンは自分好みの“ミルクティ”の作り方を依頼しただけのようにも思う。
いずれにせよ、万平ホテルのオリジナル商品でのロイヤルミルクティの紹介が異端(?)ではなく、正統な方法だったことに感心。
余談だが、私は紅茶もコーヒーもそのまま何も加えずに飲むのが好き。これは飲み物だけでなく、料理もそうで、テーブルの調味料その他で自分で味変することを良しとしていない。
2024年9月に訪れた時は旧軽井沢のテニスコート近くの駐車場にレンタカーを停めて散策。その時は売店は開設されていなかった。事前に電話確認して開設していないことは確認済みだったけど。





●万平ホテル
長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢925
℡0267-42-1234
「ジョンが過ごした軽井沢の夏」を追体験する
別荘地
直近では万平ホテルを2023年8年と2024年9月に訪れているが、いずれも工事中でアルプス館のカフェテラスを利用することはできていない。
ただ、私の目的地は万平ホテルではなく、その裏手の別荘地。
ジョンと家族は、来日中の夏季に小野家の別荘に滞在し、お気に入りの中華料理店(榮林)や喫茶店(離山房)、酒屋(小林酒店)などの他、軽井沢ユニオンチャーチ、鬼押出し園、見晴亭等、後に聖地として有名になる場所を訪れている。
国内におけるジョンレノン関係地としてはこの別荘が一番のお気に入り。2023年8月に温泉旅行の途中、当地を訪れている。
あまりにも雰囲気が素敵だったので、妻とも感動を共にしたいと思い、2024年9月にはわざわざ群馬から寄り道して軽井沢を久々に二人で訪れた。
ジョンが軽井沢に滞在していた頃(1976年~1979年)、京都在住の学生だった私は、音楽仲間からジョンが軽井沢に来ているらしいという噂を聞いて、皆で行こうかと話していたことを思い出す。
その後、実際に軽井沢を訪れたのは社会人になってから。1984年に「テニスを軽井沢で」が目的だったので万平ホテルやその他“聖地”へは訪れていない。
今はもう、別荘の所有者は変わってしまったものの、当時の家屋が残されていて、周囲の雰囲気も1976年~1979年当時のままのような気がする。
↓ 2023年8月29日撮影。ジョン家族で礼拝したユニオン教会と旧小野家別荘



↓ 2024年9月25日撮影





旧軽井沢銀座
ミカドコーヒー軽井沢旧道店
旧軽井沢の中心地に戻り。ミカドコーヒー軽井沢旧道店へ向かう。
ここも“聖地”。
混雑しているため、店内で順番待ちした後、2階でモカソフトとコーヒーをいただく。
★ミニモカ&コーヒーセット 1,350円




セットのコーヒーはハウスブレンドの「旧軽通り」。ミニモカソフトがつく。
「旧軽通り」の単品価格は820円なのでセット価格とはいえ、価格メリットはさほどない。
コーヒーはさすが酸味を大事にするミカドコーヒーだけあって、まずは感じる酸味。そして若干の苦みも良い。観光客向けの珈琲店としては上々。
軽井沢旧道店の開店時(1952年)以来の人気商品であることも頷ける。
ミカドコーヒーは1948年に日本橋に一号店を出店しているが、当時はまだコーヒーは庶民の飲み物ではなかった時代。
その時代に旧軽井沢銀座に出店された先見の明には頭が下がる。
出店理由は日本橋本店の常連客が軽井沢に別荘を持っている貴人が多くいて、そういった方々からの出店要請があったとか。
この「旧軽通り」に、旧軽通りの豆を焙煎して練りこんで作られた「旧軽モカロールケーキ」を合わせたいと思いつつ、残暑ならぬ猛暑が残っていることもあり、「モカソフト」のセットを選択。
モカソフト単品についているプルーンはセットにないのがさみしい。
もともとはコーヒーを飲めない子供のため作ったというが、甘さを抑えて、且つ、コーヒーが酸味重視のミカドだけあって、暑い時期でもさほど甘ったるく感じないのが嬉しい。












★モカフロート 930円

妻は当店名物のコーヒーゼリーにするか相当、迷っていたが、結局、水分補給を優先。
アイスコーヒーもブレンド同様に酸味と苦味を楽しむタイプの豆が使われている。
モカソフトがコーヒーの中で溶けだすと自然の味変を楽しむことができる。こういう自然な味変は受け入れている(^ー^)。
そういえば最初に軽井沢に来た時にもソフトクリームを食べたよねとか、テニスは何処でしたんだろうかとか40年前の話にちょっとだけ会話が弾む。
ジョンは音楽以外でも遺産を残してくれ、そしてアジアの片隅にも一隅を照らし続けてくれている。
フランスベーカリー(French bakery)
万平ホテルでベーカーチーフ(パン・洋菓子部門責任者)だった田村寅次郎氏が1951年旧軽井沢銀座に出店。日本語表記は「フランスベーカリー」で英語表記は「French bakery」。日本人向けにわかりやすいという理由で“フランス”と表記したあたりはグッジョブ。
焼きたてのベーカリーが並ぶ中、自転車で買物に来たジョンを撮影した画像を店内に掲示されていた。
その自転車ジョンの掲示画像の撮影もSNSにアップも禁止と表示されていたが、今でも時折、巷で見かける。
当時(1980年代)は観光雑誌でも、幼いショーン君が自転車に乗っている軽井沢滞在画像が両親共々紹介されていた。
↓ 2023年8月29日撮影
・オリジナルショッピングバック(小)とブルーベリージャム。そしてジョンレノンが愛したフランスパン。



↓ 2024年9月25日撮影
・フランスパン,くるみパン,クイニアマン,シナモンロール,スィートポテトパイ。オリジナルショッピングバック(大)。




ミカドコーヒーを訪れる前に品揃えを確認した時には陳列されていた名物の塩クロワッサンが売り切れていたのは残念だったが、パン好きの妻も訪問を喜んでくれたので良しとする。
“粉に対し半量以上の水を用いるレシピ”で練られた塩加減がやや強めの生地。そのため密度が濃くもっちりとした食感のフランスパン。
スクラッチベーカリー店の特徴が詰まった品々は、軽井沢で食べることを想定しているため、現地でいただきたい。イートインもあるし。
旧軽井沢銀座通りの風景
↓ 2023年8月29日撮影















↓ 2024年9月25日撮影


















◇軽井沢ジョンレノンのゆかりの店
•万平ホテル(当日改装休業中)
•喫茶離山房(当日休日)
•赤坂榮林軽井沢店(当日休日)
•ミカドコーヒー軽井沢旧道店
•フランスベーカリー
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【記事目次】
日光から軽井沢。奥鬼怒温泉、法師温泉、東照宮、華厳の滝、霜降高原 2024年9月23日~9月25日
・20年ぶりの日光東照宮。国宝,陽明門,廻廊,眠り猫,三猿,御本社,本殿,唐門,本地堂,鳴き竜,奥宮,
・日光。紅葉渋滞前に訪れる。華厳の滝と温泉まんじゅう製造元佐藤物産店で湯葉入りの豚まん,ちまき,薄皮饅頭,華厳のすいとん,レモン牛乳,華厳の滝の動画。
・ジョンレノンの見た景色。万平ホテル,ミカドコーヒー,フランスベーカリーを訪ねる
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