“現地(源泉)”“現物(入浴)”“現実(運営)”と温泉分析書を確認するための温泉研究の旅を続けている。
今回の記事は2024年9月に訪れた北関東方面の記録。
秘湯と呼ぶにふさわしい奥鬼怒温泉加仁湯で源泉5本を堪能した後は、次の宿泊地である群馬県の足元湧出温泉で有名な法師温泉長寿館へ向かう。
途中、20年ぶりに「世界文化遺産」日光東照宮へ寄り、2017年に修復工事が完了した陽明門やその他をインバウンド客に交じって拝観。
ここは特に説明する必要もないでしょう。
簡略付記と画像のみ記録紹介。
◇日光東照宮配置図
◇駐車場~五重塔~表門まで
□駐車場の池と甲良豊後守宗広
錦鯉発祥の地である小千谷の錦鯉
□武徳殿(登録有形文化財)と宝物館
・元は参拝人休憩所だったが、奉納武道大会が開催されるようになり、増改築され「武徳殿」と称するように。その後、戦争や戦後の占領政策により武道大会は中心になるが、昭和26年に日光剣道大会が開催され、全日本剣道大会が毎年開催されるようになった。
そのため「戦後剣道復活の地」という歴史と建築美が評価され、国の登録有形文化財に登録。
□石鳥居(一の鳥居,重要文化財)
黒田長政公奉納。原材料の石材は九州より運ばれたとか。「東照大権現」の額は、後水尾天皇筆(伝)。
□五重塔(重要文化財)。
1650年(慶安3年築)その後、火災のため1818年(文政元年)再建。心柱懸垂式の構造で高さ36m。
希少性としては五重塔が残存している神社は3社のみ。厳島神社(広島県)、出羽神社(山形県羽黒山神社)、そして日光東照宮。
十二支が彫られた彫刻など、仏教寺院に残された五重塔と比較してカラフルなことも訪日客に人気の理由。
□拝観券受付所
個人旅行なので拝観券購入は左側の券売機に並ぶ。平日なのに混んでます。なんとなかならないのかと思うが、待つ方も待たす側も順番が進むのを耐えるのみ。
□表門(仁王門)は重要文化財。
こちらもカラフルな霊獣が彫刻され、その数80第体超。
◇三神庫、神厩舎(三猿)、輪蔵,鉄灯籠、鼓楼・鐘楼
□三神庫(さんじんこ)
・表門を背に右から下神庫(しもじんこ)、中神庫(なかじんこ)、上神庫(かみじんこ)で、いずれも重要文化財。校倉造り。下神庫は修理中。
神庫とは祭礼に使う祭具(百物揃千人武者行列)を入れる倉のこと。
・見逃しがちだが、上神庫の狩野探幽による「想像の像」は要チェック。先に行こうとする妻を呼び戻して一緒に拝観。
□神厩舎・三猿(しんきゅうしゃ・さんざる)
・重要文化財。神馬をつなぐ厩で、猿が馬を守るという故事により長押上に猿の彫刻、8面が施されていて、皆さん「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿を撮影されているが、他の猿も併せてじっくり拝観。
三猿は、子に対する教育的配慮と大人への自制心の教えを説くが、他の面も併せて猿の一生を描いている。母猿が子猿の将来を見つめ、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿、独り立ちする猿、二匹の猿、挫折と慰め、恋愛悩、結婚、そして子宝に恵まれた猿。
□御水舎(おみずや)と輪蔵
・御水舎の水盤は鍋島勝茂公(佐賀藩主)が奉納。作法通りに手水で手と口を清める。居合わせたインバウンド客に作法を説明しながら伝えたところ大変感謝された。ちょっと嬉しい。自宅近所の神社のボランティア宮係を務めておいてよかった。
・三代将軍家光公によって再建された八角形輪蔵は中に回転式の本棚のような書架があり、経典(一切経1456部、6323巻)が収められている。裳階付重層宝形造,銅板葺き。別名「笑い堂」。重要文化財
□鉄灯籠
・大名が奉納した灯籠は120基に及ぶが、中でも伊達政宗公の奉納したポルトガルから取り寄せた材料を使って製作した銅製の「南蛮鉄灯籠」が人気。石段脇の一等地に配置され、赤錆で良く目立つ。
□鼓楼・鐘楼
・陽明門の前、左右に並んで立つ。左側が太鼓を鼓楼、右側が鐘を吊るす鐘楼。
□廻転灯籠(逆紋の廻り灯籠)と朝鮮鐘
・鼓楼と陽明門への石段の間にある。オランダから奉納。葵の紋が上下逆さになっていることから「逆紋の廻り灯籠」とも称される。重要文化財
◇陽明門と廻廊、眠り猫、神輿舎、御本社
□陽明門(国宝)
・キラキラして美しい姿はインバウンド客に大人気。時を忘れてずっと拝観したいと思うため「日暮の門」という別名がある。白色の胡粉、黒色の漆、
入母屋造の銅瓦葺、軒唐破風、左右の袖壁、二軒繁垂木を放射状に配された扇垂木等々、ほれぼれ。
天井画は狩野探幽の雲竜図であるが、残念ながら複製品。
・陽明門逆柱。グリ紋の12本柱のうち、西側から二番目だけが逆紋で、不完全な柱を加えて魔除けにしたという説から「魔よけの逆柱」と称される。
□東西廻廊(国宝)
・朱漆塗りで全長220mの廻廊は東西に対称的に配置。元は北側にも廻廊は続いていたが、1646年(正保3年)の地震で倒壊。その後、石段で補強されたため北側廻廊は撤去。
極彩色の一枚板の透かし彫りが見事。壁面蟇股の上側の「長押(なげし)」には雲、その下の「胴羽目(どうはめ)」には牡丹・松竹梅・孔雀・鷲等の花鳥動物、「腰羽目」には鴨・水鳥・植物が彫られている。
□眠り猫(国宝)
・伝 左甚五郎作。東回廊の潜門に掲げられている。眠っているようで実は薄目を開けて見張っているというが・・・。
眠り猫の反対側には雀が遊ぶ。
□神輿舎(しんよしゃ)
春秋渡御祭に使われる三基の神輿が収められている。重要文化財。
□御本社(社殿)の本殿、石の間及び拝殿(国宝)と正面及び背面唐門(国宝)、東西透塀(国宝)
・御本社(社殿)は本殿・拝殿・石の間で1棟の「権現造」。本殿は入母屋造りで背面に向か拝。
・石の間は両下造(切妻造の妻(三角形の部分)がなく、両側に屋根を下した造り)。
・拝殿は入母屋造で正面に千鳥破風、軒唐破風の向拝。
・屋根は黒漆塗の銅瓦葺
・唐門は胡粉で白く塗られている。四方唐破風造。611体の彫刻が施されている。中国の故事にちなみ青銅製の「恙(つつが)」と「龍」を配置して門番としている。また、許由巣父の彫刻、舜帝朝見の儀、七福神、八仙、兎、竹林の七賢人の彫刻も見どころ。
・透塀は西側が約80m弱で、東側が約77m。亀甲花菱紋様や花鳥・水鳥の彫刻、花紋花狭間格子窓が見事。
□本地堂(薬師堂、重要文化財)
・1635年(寛永12年)建立。徳川家康の本地仏である薬師瑠璃光如来像を祀る。
・狩野永真安信による8mに及ぶ竜画は「鳴き竜」と称され、手を打つと音が鳴り響いたとされるが、火災のため消失。現在の竜は34枚の檜板に描かれた縦6m横15mの堅山南風作で、竜の頭付近直下で拍子木を鳴らすと反響音が出る。それ以外では反響音が出ないのは、竜の頭の口付近の板を湾曲させているからということです。
20年前に訪れた時は参拝者も少なく、音の反響はもっと大きかったと記憶していたが・・・。
◇奥宮
□坂下門(重要文化財)
眠り猫の下をくぐると、すぐの場所に門が見える。1608年(元和4年)建立。当時は将軍参拝時のみ開門されていた。現在は我々庶民も通行可能。
八脚平唐門で銅瓦葺き。飾金具に七宝焼、欄間に鶴の透かし彫り、腰羽目に牡丹と唐草が彫られている。
□奥宮参道
「石廊下」と称される石段が奥宮まで続く。
足元にはつなぎ無しの一枚石で作られた階段が207段程。階段横の石柵は一本石をくり抜いたもの。
「あらたうと青葉若葉の日の光(松尾芭蕉)」の句が良く似合う雰囲気。
□東照宮旧奥社 鳥居(重要文化財)
・元は木造で1641年(寛永18年)に石造りに建替えしたが、1683年(天和3年)の地震で倒壊後、銅製で再建。
□銅神庫(重要文化財)と石狛犬
・1654年に建立。寄棟造、銅瓦葺。
・狛犬は松平右門大夫正綱と秋元但馬守泰朝が寄進。
□奥社鋳抜門(重要文化財)
・1650年建立。椎名伊豫による青銅鋳物製唐門。一間一戸平唐門。
・門の前の狛犬も銅製で重要文化財指定。
□奥宮御宝塔(重要文化財)
・1617年建立で。現在の宝塔は1683年に造られた高さ5mの銅宝塔で、神柩(しんきゅう)には徳川家康公の遺骨が納められている(伝)。
・宝塔の前の鶴・花瓶・香炉は朝鮮国王(当時)から贈られた物。
□奥社石柵
・1615年から1660年にかけて。宝塔、拝殿周囲、前檀三方。
□叶杉
・何やら願いが叶うらしい。
□奥社拝殿(重要文化財)
・1636年建立。入母屋造、前後軒唐破風付、銅瓦葺。
日光。紅葉渋滞前に訪れる。華厳の滝と温泉まんじゅう製造元佐藤物産店で湯葉入りの豚まん,ちまき,薄皮饅頭,華厳のすいとん,レモン牛乳,華厳の滝の動画に続く
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